行きつけの某BARでマスターが言った。
「先日萩に行った時、ほぼ完全な形で残っている遊郭建築を見つけんたんですよ。芳和荘って看板があり、旅館みたいだったけど今は営業していない感じでしたね。でも、建物自体はとても雰囲気ありましたよ。」
このマスター、江戸文化や花街文化に造詣の深い方。この人の琴線に触れたという事はきっと本物なんだろうなとその時は聞き流していた。
数日後ネット検索している時たまたまマスターの話を思い出し、探してみると、なんと芳和荘は現役の旅館。しかも利用者の声を見ると「本物の遊郭建築」とか「貴重な体験」とか絶賛の声。しかもしかも1泊食事なしで4,200円!これは花街マニアではない私でも一度行ってみたくなった。
かつて一緒に旅行関係の仕事をしていた会社の同僚を誘って、12月前半の週末に予約して伺った。

芳和荘は浜崎にある。
調べてみると浜崎は江戸時代から戦前まで廻船業や海産物加工で栄えた商人の町で街並み保存地区もあるらしい。
船宿などもたくさんあったに違いなく、遊郭があったとしても何ら不思議ではないロケーション。
チェックインは16時からということだが15時過ぎに到着。
外観は風格十分。玄関から中に入ると右手に帳場(フロント?)正面には2階に上がる立派な階段がある。

「館内を見せていただけませんか?」
「いいですよ。ご案内します。」 とご主人。
客間はすべて2階なので階段を上がる。
回廊式の廊下がぐるりと1周しており眼下に中庭がある典型的な遊郭建築。部屋の外側にも巾60cmの廊下が1周している。
「かつて遊郭だった時代、お運びさんは外側の廊下を通って酒や料理を運んだそうです。膳が運べるぎりぎりの巾ですね。でもその後旅館に改装した時、部屋を広げるため廊下に仕切り板を設けてしまって今では1周できません。」

続いて各部屋を見せていただく。
一番広い部屋は二間続きの太夫の部屋。床柱が素晴らしい。
次に広い部屋は十数畳ある、この日私たちが泊めていただく部屋。ナンバー2の部屋と思われる。
他の部屋は基本が四畳半とずいぶん狭い。こちらは庶民が利用していたのか。
「四畳半は2人でも泊まれなくはないですが狭いですから原則おひとりさまでお受けしています。」
同じ四畳半でも外側の廊下が部屋の一部になっているところと、廊下が残っているところがあるようだ。(写真参照)

続いて1階に降りてお風呂を見せていただく。
「風呂は旅館を始めて以降作ったものです。そこそこ広い岩風呂なんでこの時期だと寒くないようお客様の入浴時間に合わせて追い炊きします。」
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館内もひととおり見れたので街に出ることにした。
「せっかくなので地物の魚が楽しめるようなお店があれば教えてください。」
「だったら小倉がいいですよ。この飲食店マップお使いください。」
ご親切に場所まで説明していただいた。旅館から数分歩くと小倉はじめ萩の繁華街(とは行っても町相応の規模だが)があるようだ。
小倉に入ると5人がけのカウンターと座敷がふたつ。
還暦くらいのご夫婦がなにやら忙しそうに料理を作られている。座敷には今乾杯したばかりの団体がひとつ。

「仕出しと宴会の時間がかぶっちゃって・・・。あ、芳和荘の紹介?ああ二人くらいならなんとかなるよ。カウンターに座って。」
「まったく馬鹿だよねえ。宴会は18時、仕出しは18時半だと勘違いしてたんだよな。」
「ほい、お刺身。あ、うちは料理お任せだよ。様子見ながら適当に出すから。」
「どこから来たの?東広島?この前も東広島の人来たよ。日本酒詳しかったなあ。」
などと、手は素早く動かしながらぼやいたり説明したり話しかけたりと忙しい。しかも、ぼやきがなかなか面白い。案外このバタバタが普段のリズムかなと思ってしまう。
それにしてもはじめての店でお任せってなかなか怖い。料理は次々に出てくる。いい意味で田舎らしく気取らない料理だが一品づつ手間をかけていて魚も新鮮。既製品はなく、かまぼこすら自家製。どの料理も美味しく頂いていたら結局8品も出てきた。(写真は一部です)連れは食べきれなかったくらい。ビール大瓶3本、熱燗5合とお酒も結構いただいたので、恐る恐る会計を頼んでみたら、ふたりで1万円。内容からすると安いと思った。
大将の話に相槌打ったり、質問に答えたりするのが苦にならない人にはおすすめ。(苦笑)
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食事のあとはスナックで軽く二次会。連れはその後帰ったが、私は帰りがけに見つけたADELというBARに入ってみた。
カウンターに加えボックス席も多くフードメニューも多いのでカテゴリーではレストラン・バーになるかも。静かにJAZZが流れる店でカクテルを頂いて帰った。
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翌朝は芳和荘で朝食。実は予約時に1,050円で朝食ができると聞いたので頼んでおいたのです。
メニューは旅館の朝食らしいもの。珍しいものはないが、浴衣のまま朝食を済ませて、その後ゆっくり着替えてからチェックアウトできるのも落ち着いて良い。安く済ませるならすぐ近くのファミレスかもしれないが、私はこちらが好み。
寒いこの時期、廊下の要所やお部屋にストーブを焚き、お湯加減を入る時間に合わせるなどチェックアウトまで、ご主人の付かず離れず的なおもてなしを感じる宿だった。
設備は昭和30年代レベルだから、共同便所、しかもくみ取り式なんて今では体験型施設とも言えるくらい。また、寄る年波なりにぎしぎしきしむ廊下など決して万人受けする旅館ではないが、埋めてあまりある何かがある旅館。
布団に入り天井を眺めながら、100年前にこの部屋に泊まった客は太夫と添い寝しながらこの天井を眺めたのかなと想い始めるといろんな意味で眠れなくなりそう。(笑)
2日目は伊藤博文の生家と総理大臣になった後の別邸を見学。
この別邸は芳和荘と同じ明治40年代の築。片や日本を代表する宮大工が建て、片やは安普請の女郎屋だが桧皮葺のひさしのような屋根とか共通する部分もあったり、また欄間や廊下の細工のレベルの違いなど対比が面白かった。
この日は萩市内でマラソンがあり、交通規制の逃れるため残念ながら早々に立ち去った。
萩は戦災を免れたことから維新の史跡がたくさん残っている上、江戸時代の古地図でそのまま歩けると言われる歴史のおもちゃ箱のような町。その上漁港があって魚も美味しく、広島から車で3時間半と距離も手頃とあっては、芳和荘、小倉も含め、またゆっくり再訪したいと思いました。
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