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2007年5月26日 (土)

混浴エピソード 東郷・谷水旅館 3

*** 前回より続く ***

男は思わず視線を女性に向けた。目が合う。
(ビンゴ!)男は思った。このリアクションは「脱いでもいいよ。」に等しい。強いて言えば、あとは「あなたのせいよ」という言い訳を用意してあげればよい。

「そうしなよ。その方が気持ちいいよ。向こう向いてるから。」
男は湯船の縁の方を向いた。

「・・・・・。」

刹那、背後で女性が浴衣を脱ぐ気配を感じた。こういう時は、女性から声がかかるまで振り向かないのがマナーだろうが、男は、残念ながらそこまで紳士ではなかった。そっと振り向く。

「・・・!」

思わず声が出そうになったのを飲み込んだ。女性は後ろ向きで浴衣を脱いだところだった。適度にくびれた美しいシルエットに形の良いヒップ。そして背中には・・・色鮮やかな竜の絵が描かれていた。
最近多いボディアートとか、東南アジアの女性がやっている魔よけのようなワンポイントではない。背中一面を覆うジャパニーズ・トラディショナル・刺青である。

男はそおっと縁石の方に向き直った。のぼせるほど浸かっているのに冷や汗が出る。狼狽気味の頭の中を必死で整理した。

彼女の刺青は、やんちゃのレベルを超えている。
きっとソノ筋のオンナだろう。姐さんという雰囲気ではないので情婦か?
それならそれで、もっとそれとわかるような仕草をしてくれよ。
わかってりゃ口が裂けたって「脱いだら?」なんて言わないし。
そうだ、彼女は、俺が見たことに気づいているんだろうか?
彼女はなんで脱ぐと言い出したんだ?刺青のリスクを冒してまで。
もしかしてからかわれたのは俺の方か?そうだとすれば、この後どう振る舞うべきか・・・。
そんなことが頭の中を駆け回る。

「こっち向いてもええよ。」

彼女の声に心臓があばら骨を蹴り上げた。こうなれば成り行きに任せるしかない。彼の仕事はネゴシエーターだ。ポーカーフェイスにはそれなりに自信はある。
男は、平静を装って振り向く。彼女は浴衣を脱いで、向かい合うように湯船に首まで浸かっていた。

「どう?やっぱり気持ちいい?」
「うん、最高や。やっぱ温泉は何もなしで入るんがええ。」
「恥ずかしくないだろ?」
「・・・連れが紳士やからな。」 と言って、いたずらっぽく笑った。
微妙なリアクションだ。背中を見られたことに気づいているのかどうかわからない。

その後しばらくは、たわいのない会話に終始した。
男は風呂から上がるタイミングを伺っていた。ここにいてもこれ以上楽しいことが起きることはない。あるのはリスクばかり。
何しろ男と女が裸でいるわけだ。彼女に悪意があれば、いくらでも因縁を付けられる。

しかし、ふたりきりというのは、上がるタイミングが意外に難しい。
飲み屋で、ママさんとふたりだと、なかなか切り上げるタイミングが難しいのと同じだ。そういう時は次の客が入ってきた時が絶好のチャンスなんだが。

彼女と5分も話をした頃、建物から浴衣がけの初老の男性がひとり近づいてきた。
(ラッキー!) 男は心の中で叫んだ。彼と入れ違いに、「じゃあお先に。」とさりげなく上がることができる。
会話もさりげなく終わる方向に相づちを打ちながら男は上がる準備を進める。初老の男性がゆっくりと湯船に近づいてきた。
男がまさに「じゃあ」と言おうとした瞬間、初老の男性が先に言葉を発した。

「おまえ、なんちゅう格好しとるんじゃ。」

「あ、パパぁ。」

男は、のぼせるほど浸かっていたにもかかわらず、血の気が引いていくのを感じた。
パパなる人物は、決して血縁上の父ではなさそうだ。ドスの効いた言葉と眼力(めぢから)がただ者ではない。
彼女が「連れは大浴場が好きでない」と言っていたことを思い出した。今では悲しいほど理解できる。

きっと、パパは、彼女がなかなか戻ってこないので様子見に来たに違いない。そこで彼は刺青も隠さず男とふたりで入浴しているのを見つけた。彼女のそばには、濡れた浴衣が置いてある。今脱ぎましたと言わないばかりに・・・。
この状況を、パパが好意的に受け取ってくれる確率は、おそらくロト6で6億円が当たる確率より低い。

「・・・・・・・。」

パパなる人物は、彼女が他の男の前で肌をあらわにしたことが明らかに不満のようだ。何も言わずジロっと男を睨んだ。男は全身の血が一瞬凍り付いた。
その後パパは彼女を睨む。 彼女は、パパを見上げると、やや甘え口調で言った。

「だってこの方が気持ちええんやもん。」

とりあえず、男のせいにしなかった彼女に内心感謝した。
パパは彼女と話し始めた。
最大の危機は脱した。しかし、いずれにしても長居は無用だ。この後、話の成り行きで彼女が彼のせいにしない保証はない。
男は、夕食で食ったマツバガニの如く、さりげなく横ばいしながら徐々に距離をとる。対岸までの5mがやけに遠い。

彼女がパパに「赤のアウディ買ってよ。」などと、のたまっている隙に、男はようやく湯船から出ることに成功した。体もろくに拭かず浴衣をはおり、逃げるように部屋に帰る。
部屋の鍵をかけると、安心感と疲れがどっと吹き出し、男はすぐに眠りについた。

翌朝は朝食だけチェックを済ませると、7時半には出発することにした。
早く家に帰って、半日だけでも代休を楽しもうと男は駐車場に向かう。

昨夜のことを振り返る。露天風呂で彼女をからかおうと思って、結局、からかわれたのは俺の方だった。まさか、あんな普通の娘が刺青背負ってるなんて反則だ。それにしても、会話でも全くソッチ系の気配は感じなかったなあ。これもご時世か。まあ、無事で済めば、旅先では多少のハプニングがあった方が楽しいもんだ。

男は駐車場から車を出した。
早朝で誰もいない中、隣に駐車してある神戸ナンバーのベンツ600SELだけが男を見送ってくれた。

(完)

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